知らない人のための宝塚歌劇

宝塚歌劇とはなんぞや?

名前は知っているし、女性だけでするってのも知っているけど、いったい何なの?

まさに知らな人にとっては秘密の花園、タカラヅカ。

最低限の知識として知っておいた方がより楽しいと思いますので、宝塚歌劇の公式サイトに沿ってご案内します。

 

100年の歴史をもつ宝塚歌劇

宝塚歌劇は1914年に創設され、106年の歴史があります。

宝塚歌劇の幕開けは1914年、大正時代にさかのぼります。宝塚歌劇を創設したのは、阪急電鉄の発展に貢献し、日本初のターミナルデパート阪急百貨店の開業や、東宝グループの創設にも力を尽くした小林一三(いちぞう)翁。一三翁は、鉄道の乗客誘致の一環として1911年に誕生した「宝塚新温泉」(宝塚ファミリーランドの前身)の拡充にあたり、室内プールを目玉にした2階建ての洋館「パラダイス」を開業。しかし、男女共泳を禁止する時代環境や、温水設備がないことなどから、夏の2ヵ月ほどで閉鎖に追い込まれます。そこで、この場所を使って余興を見せようとひらめいたのが、宝塚歌劇のはじまりです。

6年前の2014年には創設100周年という事で、記念式典が行われ、NHKスペシャルでも取り上げられました。

宝塚歌劇

宝塚歌劇 100周年記念特設サイトです。2014年宝塚歌劇年間公演スケジュール、100周年記念行事・イベントなど、宝塚歌…

そんな宝塚歌劇ですが、阪急電鉄の創業者小林一三が創設しています。

 

計画の失敗から生まれた宝塚歌劇

元から宝塚歌劇をやろうと始めたのではなく、室内プールの運営に失敗したため、施設を遊ばせておいても仕方がないという事で始めたのがきっかけです。

小林一三は、都市と宅地開発をした近郊を結び乗客を運ぶといった、多くの私鉄で採用されている経営モデルを考え出した人ですが、中にはこのような失敗がきっかけとなったものもあるのです。

恐らくは、数えきれないくらいのアイデアを出し、失敗しながらも修正を加え、ビジネスモデルを磨き上げていったことだと考えます。

 

「清く正しく美しく」はタカラヅカ

清く、正しく、美しく

一度は聞いたことがあるフレーズでしょう。

この言葉は宝塚歌劇のモットーから来ています。

宝塚歌劇のモットーである「清く 正しく 美しく」は、小林一三翁の教え。“家族ぐるみで安心して楽しめる国民劇”を目指した一三翁が、華やかな夢の舞台を支える歌やダンス、演劇といった芸能の基本はもちろんのこと、礼儀作法やマナーをわきまえ、一人の女性として、社会人としての品格を忘れないようにと贈った言葉です。その精神は、時代がどんなに移り変わろうとも、すべてのタカラジェンヌ、すべてのスタッフの中に深く息づいています。

宝塚歌劇HPより

 

企業に置き換えれば経営理念とも言える言葉ですが、宝塚歌劇の生徒は「日ごろから何を意識しなければいけないのか?」

ちなみに”生徒”とは歌劇団員のことを指します。小林一三氏が芸者や舞妓と区別したい思いから名づけられたようです。

歌劇団入団以後も、団員は「生徒」と呼ばれる。宝塚歌劇が発足当初、歌劇団員が「芸者や舞妓のようなもの」と揶揄されたことに小林一三が怒り、「宝塚歌劇は良家の子女に高等なる音楽教育を施した“生徒”によってなされるものである」と言ったことに由来する。歌劇団と学校が一体であったことなどから、音楽学校の95期生は、歌劇団の95期生として入団など、双方の期数は一致する。

Wikipediaより

 

また、宝塚歌劇をイメージされたときには「清く正しく美しく」でなければならない。

組織をまとめるうえで経営理念やキャッチフレーズが使われますが、100年間ぶれずに歴史を積み重ねられてきたのはこのモットーが土台にあるからと考えます。

100年もたてば変化しそうなものですが、この「変えてはいけない」部分を守り続けてきたからこそ、歴史に重みがあります。

 

全員女性の特異性

多くの方がご存知の通り、宝塚歌劇は全員女性が演じます。

宝塚歌劇は、未婚の女性だけで構成される世界でも珍しい劇団です。当然ながら、女性の役だけでなく、男性の役も女性が演じることになります。男性の役は「男役」、女性の役は「娘役」と呼ばれ、男役は普段から短い髪、娘役はロングヘアと、見た目にも男役と娘役の区別は明快です。どちらの役を担当するかは身長や声域、本人の意思などで決まりますが、途中で男役から娘役に転向するケースもあります。
本当は女性なのに男の色気漂うかっこいい男役と、男役を引き立てる娘役。そのどちらが欠けても宝塚歌劇は成立しません。男役と娘役のコンビネーションは大きな見どころのひとつです。

宝塚歌劇HPより

 

これはかなりの特異性だと考えます。

公式HPにも記載されていますが、世界でも珍しい劇団とされてます。

企業活動で言えば”差別化戦略”です。

 

とは言え男性が一度もいなかったと言えばそうではなく、戦後に「男子部」が結成されましたが、わずか8年で解散となっています。

ファンなどからの反発が大きかったのが要因のようです。

戦後なので、すでに宝塚歌劇ができて30年ほど。

すでに「宝塚歌劇=女性」でのブランディングが完成していたため、変化は難しかったのだろうと想像します。

 

解散せず、細々とでも続けていたらどうなっていたのかはわかりません。

しかし、結果として「女性だけの歌劇団」といった唯一無二と言える価値を手に入れることができました。

 

5組+1 タカラヅカ内での細分化

宝塚歌劇には、花組・月組・雪組・宙組の5つのと専科があります。

宝塚歌劇には現在、花・月・雪・星・宙(そら)の5つの組と専科があります。全ての公演が組ごとに行われ、お芝居やショーの演目の違いはもちろん、組ごとに異なる魅力が楽しめます。組は1914年の誕生当初からあったわけではありません。観客数の増加に対応するため、1921年から第1部を「花組」、第2部を「月組」とする2組制で公演を行うようになったのが、組制度の始まりです。
現在、各組には約80名のタカラジェンヌが所属。宝塚歌劇の出演者を養成する「宝塚音楽学校」の卒業生が、タカラジェンヌとしての初舞台を経て、毎年それぞれの組に配置されます。

宝塚歌劇HPより

 

一組あたり80人ほどが在籍をし、トップスターと呼ばれる男役の生徒を頂点として、トップ娘役、2番手、3番手・・・とピラミッド型組織を形成しています。

この組の単位で年間1~2回ほど本公演(宝塚大劇場・東京宝塚劇場)を行います。

空いている組はもちろん遊んでいる訳でなく、地方公演を行ったりや次回作の練習に励んでいます。

 

この5組を持っているという事で、公演のローテーションをしっかりと回せたり、ちょっとチャレンジングな演目ができたりのメリットがあります。

また、組自身のもつカラーであったり、トップスターのカラーによって雰囲気も変わりますので、宝塚歌劇ファンもよりお気に入りの組を探しやすいといったメリットもあるかと思います。

AKBもグループを増やしていったのは、異なるファンの好みに合わせたグループが必要であったのではないかと想像します。

 

花組
1921年に発足した最も歴史のある組のひとつ。日本初のレビュー『モン・パリ』を初演。組名そのものの華やかさに、実力を兼ね備えた組として人気を博している。

月組
1921年に花組と同時発足。『パリゼット』『花詩集』や、『ベルサイユのばら』『風と共に去りぬ』などの大作を初演。時代を映し出すように、常に新しく個性的な魅力を発揮してきた。

雪組
1924年、旧宝塚大劇場の誕生とともに新設。心の機微を描く日本物に定評があり『忠臣蔵』『るろうに剣心』など多彩な作品を上演。また1996年には『エリザベート』を初演し成功に導いた。

星組
東京宝塚劇場の開場にそなえ1933年に新設。2008年『THE SCARLET PIMPERNEL』を初演。組の名前に違わず、ゴージャスで存在感のあるスターを数多く輩出している。

宙組
5番目の組として1998年に誕生。東京での通年公演を実現した。発足時より現代的でフレッシュなイメージがあり、迫力のあるコーラスも魅力のひとつ。大作『ファントム』を初演。

専科
特定の組に所属せず、各組の舞台に特別出演して舞台を引き締めるスペシャリスト集団。優れた芸の手本として、後輩の育成にも尽力する宝塚の宝箱的存在。

宝塚歌劇HPより

 

専科とはどこの組にも所属しませんが、元トップスターであったりなど、実力があるベテランが多く所属しています。

役柄の年齢を演じれたりできるベテランの専科を配置して講演を行ったりします。

全員がベテランばかりという訳でなく、専科から組のトップスターになった例などがあり、このあたりは宝塚歌劇内の人事的なこともあって配属されるようです。

 

歴史の積み重ねによる圧倒的存在感

宝塚歌劇は100年以上の歴史を重ねてきました。

また、女性だけで歌劇団を構成すると言った、他の歌劇団とこなる差別化要因があります。

状況に応じて組数を増やし、宝塚歌劇ファンをもう少し細分化して多様なニーズに応えることができるようにしました。

しかしながら、はじめはプール事業に失敗から始まったなど、意外な面があります。

企業が生き残る手段の一つとして、環境変化への対応がありますが、「守るべきこと」と「変えるべきこと」を失敗もありながら運営してきたことは、経営に役立つヒントがあると思います。

最新情報をチェックしよう!